2016年08月01日
忘れられない日
今日は忘れられない日になりました。
いつもとは違う内容です。
笑いはありません。
今日は自分の気持ちを書き留めておこうと思います。
俺のモータースポーツ(ダートトライアル)の師匠、いや、人生の師匠が本日亡くなりました。
出会いは1996年
群馬三菱に入社した俺は、社内のモータースポーツクラブのCMSC群馬に入会した。
そのミーティングで、やけに貫禄のあるオーラ全開の大井義浩に出会った。
この人が全日本チャンピオンで、ダートトライアルの最高峰DクラスのキャロッセスーパーDのドライバーかぁ。
やっぱなんか違うなぁと感じた。
が・・・
その雰囲気とは真逆で、ものすごくフレンドリーで俺を気軽にお酒に誘ってくれた。
初めて二人で行ったお店は柳川町にある「篠塚三郎」
凍ったまま出てくるサーモンの刺身「るいべ」に驚き、サンマの刺身の大きさに驚き、きちっと温度管理された立山のうまさに驚いた。
でも本当に驚いたのは大井師匠のお酒の強さ。
その夜のコースは
篠塚三郎のあとにスナックに行き、次に違うスナックに行き、このお店のお姉ちゃんとアフターの約束をし、お姉ちゃんを待つ間にそば屋で飲み、お姉ちゃんと合流した後ショットバーというコースだった。
午後6時から飲み始めて、帰宅したのが午前6時
俺はショットバーの前で記憶が消滅した。
師匠は全く変わらず「おい帰るぞ」と俺を起こしてくれた。
その後、何度となくこんなコースで飲み歩いた。
この人、ホントに車の運転うまいんだろうか?
その疑問は、北海道での年末年始雪道練習で吹き飛んだ。
俺が新車で作ったランサーエボリューション6をちょっと貸してみろ、と言ってスタートラインまでに2,3回ブレーキを軽く踏んで「ふ~ん、こんな感じね」と言って走り出した時の衝撃!
雪道の下り道を100km以上のスピードで3速全開のまま進入して、しかも車は真横のドリフト、しかもしかもフロントバンパーはイン側の雪壁にピッタリくっついたまま。
俺の目の前の視界は雪壁しかない。
なんなんだこの人は!!!
これが全日本チャンピオンの走りか!
よしっ!
この人に少しでも近づこう。
必死に練習し、教えてもらえた結果、翌年の関東戦でシリーズ2位の成績を残せた。
その矢先だった、師匠が脳腫瘍で入院したと連絡を受けたのは。
そういえば最近元気がなかったな。
誕生日にお祝いに行ったのに、あんなにお酒が強かった人がビール数杯で寝てしまった。
疲れてんのかな?
そんな風にしか思えなかった。
だけどそこはさすがの師匠
入院先にお見舞いに行き、頑張ってくださいね、というと「おう、こんなとこで寝てる場合じゃねーんだ」と言った。
手術は10時間を超えるような大手術だったにもかかわらず、すぐに病院から「早くお見舞いにこねーと退院しちまうぞ」と電話がきた。
お見舞いの何日か後には、「群馬に帰ってきたから酒飲みに来い」と電話がきて、久しぶりに杯を交わした。
その後、目覚ましい回復を遂げ、すぐにシリーズに復帰してチャンピオンを獲得した。
この復活ストーリーは奇跡体験アンビリーバボーでも取り上げられた。
しかし、脳腫瘍は再発をしていた。
何度も治療し、何度も手術をした。
そのたびに奇跡の復活をしていた。
リハビリにも積極的に取り組んでいた。
最近は自宅に戻り、俺も喜んで駆けつけ、お酒を飲んだ。
これからまた一緒にお酒が飲める。
そう思っていたのは俺だけだった。
この時すでに腫瘍が悪性化し、内臓に転移していたのだ。
それを知っての覚悟の帰宅だったのだ。
お世話になりっぱなしで何の恩返しもできなかった。
トップガン大井といわれた師匠は、人生というトライアルも颯爽と駆け抜けてしまった。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
ゆっくり休んでください。
あっちの世界で、師匠の師匠であるキャロッセ代表の加勢さんと思う存分車を走らせてください。
車の話を肴に酒を飲んで楽しんでください。
いつかは俺も行くので、その時はまた弟子にしてください。
お疲れ様でした。
合掌
いつもとは違う内容です。
笑いはありません。
今日は自分の気持ちを書き留めておこうと思います。
俺のモータースポーツ(ダートトライアル)の師匠、いや、人生の師匠が本日亡くなりました。
出会いは1996年
群馬三菱に入社した俺は、社内のモータースポーツクラブのCMSC群馬に入会した。
そのミーティングで、やけに貫禄のあるオーラ全開の大井義浩に出会った。
この人が全日本チャンピオンで、ダートトライアルの最高峰DクラスのキャロッセスーパーDのドライバーかぁ。
やっぱなんか違うなぁと感じた。
が・・・
その雰囲気とは真逆で、ものすごくフレンドリーで俺を気軽にお酒に誘ってくれた。
初めて二人で行ったお店は柳川町にある「篠塚三郎」
凍ったまま出てくるサーモンの刺身「るいべ」に驚き、サンマの刺身の大きさに驚き、きちっと温度管理された立山のうまさに驚いた。
でも本当に驚いたのは大井師匠のお酒の強さ。
その夜のコースは
篠塚三郎のあとにスナックに行き、次に違うスナックに行き、このお店のお姉ちゃんとアフターの約束をし、お姉ちゃんを待つ間にそば屋で飲み、お姉ちゃんと合流した後ショットバーというコースだった。
午後6時から飲み始めて、帰宅したのが午前6時
俺はショットバーの前で記憶が消滅した。
師匠は全く変わらず「おい帰るぞ」と俺を起こしてくれた。
その後、何度となくこんなコースで飲み歩いた。
この人、ホントに車の運転うまいんだろうか?
その疑問は、北海道での年末年始雪道練習で吹き飛んだ。
俺が新車で作ったランサーエボリューション6をちょっと貸してみろ、と言ってスタートラインまでに2,3回ブレーキを軽く踏んで「ふ~ん、こんな感じね」と言って走り出した時の衝撃!
雪道の下り道を100km以上のスピードで3速全開のまま進入して、しかも車は真横のドリフト、しかもしかもフロントバンパーはイン側の雪壁にピッタリくっついたまま。
俺の目の前の視界は雪壁しかない。
なんなんだこの人は!!!
これが全日本チャンピオンの走りか!
よしっ!
この人に少しでも近づこう。
必死に練習し、教えてもらえた結果、翌年の関東戦でシリーズ2位の成績を残せた。
その矢先だった、師匠が脳腫瘍で入院したと連絡を受けたのは。
そういえば最近元気がなかったな。
誕生日にお祝いに行ったのに、あんなにお酒が強かった人がビール数杯で寝てしまった。
疲れてんのかな?
そんな風にしか思えなかった。
だけどそこはさすがの師匠
入院先にお見舞いに行き、頑張ってくださいね、というと「おう、こんなとこで寝てる場合じゃねーんだ」と言った。
手術は10時間を超えるような大手術だったにもかかわらず、すぐに病院から「早くお見舞いにこねーと退院しちまうぞ」と電話がきた。
お見舞いの何日か後には、「群馬に帰ってきたから酒飲みに来い」と電話がきて、久しぶりに杯を交わした。
その後、目覚ましい回復を遂げ、すぐにシリーズに復帰してチャンピオンを獲得した。
この復活ストーリーは奇跡体験アンビリーバボーでも取り上げられた。
しかし、脳腫瘍は再発をしていた。
何度も治療し、何度も手術をした。
そのたびに奇跡の復活をしていた。
リハビリにも積極的に取り組んでいた。
最近は自宅に戻り、俺も喜んで駆けつけ、お酒を飲んだ。
これからまた一緒にお酒が飲める。
そう思っていたのは俺だけだった。
この時すでに腫瘍が悪性化し、内臓に転移していたのだ。
それを知っての覚悟の帰宅だったのだ。
お世話になりっぱなしで何の恩返しもできなかった。
トップガン大井といわれた師匠は、人生というトライアルも颯爽と駆け抜けてしまった。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
ゆっくり休んでください。
あっちの世界で、師匠の師匠であるキャロッセ代表の加勢さんと思う存分車を走らせてください。
車の話を肴に酒を飲んで楽しんでください。
いつかは俺も行くので、その時はまた弟子にしてください。
お疲れ様でした。
合掌
Posted by クリーニングニュータカラ at 18:56│Comments(0)